日本仏教の先祖信仰との習合

(続き)
総じて言えば、日本の仏教は浄土思想の影響を強く受ける一方、先祖信仰と習合したものとなりました。
浄土系以外の宗派も浄土思想に類したものを受入れています。

天台宗・日蓮宗の「霊山浄土」、真言宗の「密厳浄土」「都率浄土」、禅宗の「法性」など、名前は違えど、死後の世界は、六道輪廻のこの世の転生先というより、天国や常世に類した「あの世」のような世界と考えがちです。

ただ、真宗、浄土宗、日蓮宗は、死後観・供養観をはっきり打ち出し、宗派としての統一見解を持っている傾向があります。
それに対して、真言・天台の両平安仏教、曹洞・臨済の両禅宗は、死後観・供養観があいまいで、統一見解を持たず、各末寺の住職に自由に任せている傾向があります。

後者の宗派は、宗派(本山)としては、教義上は死後観は重要ではなく、葬式仏教という批判も受けたくない…
一応、自業自得の六道輪廻が原則である…
しかし、末寺の供養の現場では、浄土のようなところに行けるとしない訳にはいかない…
という理由から統一見解を持ち得ないのではないでしょうか?

浄土宗の死後観と供養観は日本人にとって最も標準的なもののような気がします。
なので、まず浄土宗の死後観・供養観を説明してから、その比較・違う点として各宗派の説明をします。

<浄土宗>

浄土宗では、檀家が亡くなると西方の阿弥陀仏の「極楽浄土」に行きます。
葬儀の意味は、「受戒」、つまり改めて仏の弟子となって「戒名」をもらうことと、「引導」、つまり説法によって導いてもらうことによって極楽浄土に赴く後押しをすることでしょう。
浄土宗では「中有」なしにすぐに浄土に行けるとします。
49日というのは、浄土に行ってから阿弥陀仏に直接合えるまでの日数と解釈されるようです。

しかし、死後に本人の意志と無関係に形式的に仏弟子になって「戒名」をもらうというのは、誰も納得できないでしょう。
僧侶はもともと僧侶の葬儀しか行っていなかったため、それにならって檀家でも受戒してから行うことにしたのだとか。

「引導」の本来の意味は、説法によって人を仏の道に導くことです。
葬儀で「引導文」を読んで「引導を渡す」という習慣が、中国禅宗に始まりました。
死者を仏の世界に渡らせるための説法ですが、僧侶による呪術的な意味を持つものになったのではないかと思います。

浄土は修行が進む場所で、いずれ仏になれます。
残された者が行う供養は「追善供養」であり、仏へのお祈りであり、それによって故人の修行を後押しすることです。
念仏は自然に回向されますが、他の功徳は、法会を通して僧侶が阿弥陀仏にお願いすることで回向されます。

しかし、浄土は自然に修行が進む清浄な場所なのに、追善供養が必要なのは不思議です。
それに、普通の功徳が僧侶でないと回向できないという考えは、まるでキリスト教教会の論理のように悪質です。
(問合先:宗務庁教学局、総本山知恩院総務部、大本山増上寺)

<各宗派>

浄土真宗は半僧半俗であることを重視しますので葬儀では「受戒」はなく、戒名と言わず「法名」と言います。
「受戒」しないならなぜ法名が必要なのでしょう。
阿弥陀仏の「絶対他力」が原則なので、「引導」も、追善の「回向」も行いません。
ですから、葬儀や供養も固有の意味は持たず、通常の勤行と変わりありません。
葬儀の意味は、参列者が阿弥陀仏と仏縁を結ぶ機会です。
論理的には徹底していますが、檀家は納得するのでしょうか?

日蓮宗も形式的な戒を重視しないので受戒はなく、戒名と言わず「法号」と言います。
日蓮宗の場合は「霊山浄土」に行きます。
霊山浄土は極楽浄土のように「他土」の世界ではなく、「此土」の霊的世界のようです。
また、葬儀の意味は、浄土に送ることよりも、参列者の法華経信仰の結縁を主眼とします。
これは葬儀の意味の否定であって、浄土真宗に近いと思います。

ちなみに日蓮正宗では「引導」は行われません。
また、創価学会は、僧なし、「引導」なし、「戒名(法号)」なしで葬儀・供養を行います。
(問合先:日蓮宗宗務院総合相談所、日蓮宗総本山身延山久遠寺、日蓮正宗総本山大石寺)

天台宗は末寺ごとに考え方が違うようです。
各寺の本尊によって故人の行く先は、阿弥陀仏の「極楽浄土」であったり、観音菩薩の「普陀落浄土」であったり、釈迦如来の「霊山浄土」であったりするようです。
ただし、宗派の教義的には、浄土は目指すべきところではあるが、六道輪廻が原則のようです。
(問合先:総本山延暦寺、総務所)

真言宗も末寺ごとに考え方が違うようです。
死後の行き先は、大日如来の「密厳浄土」であったり、弥勒菩薩の「都率浄土」であったりするようです。
一般に古義系(高野山派・東寺派)は即身成仏、新義系(智山派・豊山派)は浄土思想を重視します。
やはり、古義派の教義的には、六道輪廻が原則のようです。
密教なので、引導では手印と真言が重視されます。
真言宗は先祖信仰をかなり受入れているようで、供養によって先祖神になると説くお寺もあるようです。
(問合先:高野山派総本山金剛峰寺、東寺派総本山教王護国寺、智山派宗務庁伝法院)

曹洞宗も教義的には六道輪廻するけれど、末寺では法性(仏の世界)に行くと説くことが多いようです。
ただ、それは他の世界ではなく、この世にあると考えます。
(問合先:宗務庁)

臨済宗も統一見解はなく、どこに行くとは説かないようですが、末寺では先祖信仰をかなり受入れているようです。
死後、「中有」の状態がずっと続き、追善供養の果ての「弔い上げ」で「仏」になる、というような独特な習合的死後観があるようです。
(問合先:妙心寺派宗務所教化センター)

(続く)

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