供養を行う側の通過儀礼

「通過儀礼と供養」というテーマで書いた一連の考察の最後の文章です。
古い文章から、順にお読みください。


供養は主に③のプロセスを歩む故人の通過儀礼として行います。
しかし、これを主催する、参加するのは、この世の①②の段階にいる人間です。
供養は、それを行う側の人間にとっても通過儀礼と同様の役目を果たします。
通過儀礼が形式化し、死と対面する機会も減った現代では、その重要性が増しています。

①の段階の若者にとっては、供養は成長のための通過儀礼になります。
壮年の故人は自分が目指すべき成人のモデルとなります。
供養の祭祀の主宰をしっかりと継承することは、成人のための試練でもあります。

②の段階の大人にとっては、供養は成熟のための通過儀礼になります。
老年の故人は自分が目指すべき成熟のモデルとなります。
葬儀や法要といった供養の儀礼だけでなく、「スピリチュアルケア」、「グリーフワーク」、「グリーフケア」も死や内面の人格と対面する通過儀礼になります。

死を前にした人が、死を受け入れ、人生観を新たにし、人格を変容させること(スピリチュアルワーク)は、生前で最後の通過儀礼です。
しかし、それをサポートするスピリチュアルケアも、死と対面し、人格を成熟させる通過儀礼となります。

また、グリーフワークの本質は、供養と同じく、故人とのコミュニケーションです。
それは実際には、自分の内面に潜在する人格とのコミュニケーションです。
故人を祖神へと浄化する伝統的な供養の儀礼と、グリーフワークには共通性があります。

内面の故人とコミュニケーションを行う中で、故人の像とコミュニケーションの質が変化します。
それにともなって自分の人格も変化します。

グリーフワークの最初の仕事は、遺族がコミュニケーションできる故人像を内面に確立することでしょう。
この時の故人は、生前同様の人格や価値観を持った存在で、遺族にとっては自分ではない他人です。
しかし、やがて故人の人格は遺族の自我と結びついて、自分自身の一部となっていきます。
同時に、遺族が向かい合う故人の人格は、自然に、仏や祖霊のようなより普遍的なものに変化していきます。

「仏」や「祖霊」は古い表現ですが、今風に言えば「心の奥底の声」とか「本当の自分」でしょうか。
故人の人格の中にあった潜在的な可能性が自分の中で成長し、それと対話することで、自分の人格の潜在的な可能性も成長することになります。

(終わり)

(2010)

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