島田裕巳『金融恐慌と資本主義』批判

『金融恐慌と資本主義』で島田裕巳氏は経済・経済学に与える宗教の影響について指摘しています。 普通の人なら思いつくようなことがいろいろ書いてありますが、証拠を挙げながらの実証的研究ではないので、どうにも解釈できるのではないかという気がします。 内容がごく常識的であるところが、むしろ真実を隠してしまってではないかと危惧します。 …
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金融業をはじめた中世寺院

(続き) 日本の中世の寺院を例に、増殖という観念がどう利子や金融資本と結びついたか見てみましょう。 古来、生産物は神からの贈物と考えられていたので、共同体は「初物・初穂」を儀礼的に神に返礼していました。 神と共同体の関係は「互酬(贈与と返礼)」(経済人類学が言う交換の第1型)でした。 日本では、奈良時代から、初穂…
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利子も供養も多神教の豊穣思想に由来する

(続き) 「死者の供養」を認めることと「利子」を認めることは、世界的にも関連しています。 どちらもアニミズムや多神教的な豊穣宗教の「増殖」という観念をベースにしていると思います。 ですから、イスラム教のような純粋な一神教は、「利子」を認めません。 イスラムは資本主義経済とは異なる経済圏で、「利子」は認めませんが、投資による…
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回向の論理は資本の論理と同型

(続き) 民俗的供養と仏教的供養を経済人類学的な観点から考えてみましょう。 民俗的な先祖信仰では、先祖を「祀る」という「貸し」によって、先祖から「守護」してもらうことを期待します。 供養の当事者の損得はアバウトに±0です。 これは人格的な関係で行われる「贈与・返礼」という形の交換で、市場経済とは無関係な経済です。 …
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民俗的供養から仏教的供養に

「 供養と経済の深層」というテーマでの論考を書きます。 宗教と経済の分かりやすい関係については、いろんな雑誌や新書本で読めます。 「宗教経済学」だと島田裕巳さんとか、「宗教の経済学」だと中島隆信さんとか…。 しかし、宗教と経済の深層の次元に、その両方を決めている無意識的で本質的な法則があると思います。 「経済」と…
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無縁

NHKの特集以来、「無縁社会」がメディアで取り上げられることが多くなっています。 池田信夫もブログで「無縁・公界・楽」というタイトルで書きました。 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51407019.html 網野善彦の『無縁・公界・楽』を紹介しながら「無縁社会」キャンペーン…
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論考の背景

「コミュニティとアソシエーション」というジャンルで書いたのは、日本の歴史における供養の形式に関しての一つの論考なので、古い記事から順にお読みください。 この稿は、あとがき的な説明です。 今回の論考は下記に触発されて考えたものです。 ・宗教学者の中沢新一が『カイエ・ソバージュ』シリーズ、『芸術人類学』などの諸著作で行って…
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資本主義がコミュニティ的供養を解体

(続き) 資本主義によって市場経済が共同体の中に浸透することで、共同体の価値観は解体されます。 市場経済や都市は共同体の外の「無縁」から生まれたものですから。 資本主義は人の移動を促し、直接的な意味でも共同体を破壊します。 こうして初めて檀家制が揺らぎ、寺院の特権が弱体化し、共同体的な供養が解体されます。 資本主義的な…
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江戸時代にコミュニティ化した供養

(続き) しかし、戦国時代以降、武家政権は宗教を統制し、外部的なものを囲い込みました。 仏教側も葬式仏教として全国的に布教し、惣村の形成と平行して末寺を共同体に根付かせました。 葬儀などの供養も共同体化して、外部性を失いました。 江戸幕府が体制維持・宗教統制のために導入した檀家制は、寺院を思想警察的な公安業務と、戸籍管理業務…
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中世にアソシエーションで始められた供養

(続き) では、日本の葬儀の場合はどうでしょうか? 簡単に歴史を辿ってみましょう。 日本の現在につながる葬儀は中世に始まります。 古代は神社の祭祀を行うのは氏族のコミュニティ的組織でした。 しかし、中世にはそれに変わって「宮座」という新しい組織ができました。 「宮座」はアソシエーション組織です。 この「宮座…
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コミュニティの祭祀とアソシエーションの祭祀

「コミュニティとアソシエーション」ジャンルで、一連の論考を書きます。 コミュニティを基盤とした供養の再建についての意見を聞きます。 しかし、本来、供養では「コミュニティ」や会社とは異なる社会原理である「アソシエーション」が重要なのではないか、という理想論を持っています。 これについて、「コミュニティ供養とアソシエーショ…
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スピリチュアルケアとその先

死期が近く、避けられないことを知った人の心のケアをすることを「スピリチュアルケア」と呼びます。 「ターミナルケア(終末期ケア)」、「緩和ケア」の心の部分です。 本来は、お寺さんにとって重要な仕事でした。 しかし、現在のように、亡くなる前には、家族からも病院からも、お寺さんが締め出されている状態では、ケアはできません。 …
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柳田と折口の先祖観

柳田國男は、人が死ぬと、子孫に祀られることによって、徐々に個的な性質を落とし、30年ほどかけて、やがては集合的で普遍的で浄化された霊魂(氏神・先祖霊・祖神・祖霊)になると考えました。 先祖は山で子孫を見守っていますが、盆や正月などに村や家に戻ってきます。 ちなみに柳田説では、子孫が手厚く祀らないと故人は幸せになれません。 …
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映画「殯(もがり)の森」 の死生観とグリーフワーク

『殯(もがり)の森』は一昨年、カンヌでグランプリを受賞した河瀬直美監督の映画です。 『おくりびと』と同じく海外の有名な映画祭で受賞をし、死生観を扱った映画であるにもかかわらず、あまり話題になりませんでした。 それは、この映画が一般の映画のような分かりやすい作りではなく、とても難解だからでしょう。 実際、観客に分かりやすく説…
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映画『おくりびと』の死生観

映画『おくりびと』は、死や葬儀、供養の意味を改めて考えさせてくれます。 この映画が内外で人気を博しているのは、特定の宗教や個人の信条を越えたところで、「死」の意味を描いているからではないでしょうか。 映画『おくりびと』は「死」や「死後」について直接、述べることは少ないのですが、多くを暗に表現しており、そこには伝統的な文化が持っていた…
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「千の風になって」の死後観

秋川雅史が歌った「千の風になって」の死後観について考察します。 この詩には現代的な死後観が現れていると思うので、以下、伝統的な死後観との比較を私見により分析してみます。 == 「千の風になって」の死後観は、簡単に言えば、死者は、自然の生命力の象徴である風となり、また、様々な自然になって生き続けるというものでしょう。 これ…
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