テーマ:雑考

死生観の歴史、その概念的モデル化のメモ

伝統的な先祖信仰と仏教を中心に、死生観の歴史に関して、ごく概念的にモデル化したメモです。 日本を中心にしていますが、モデルの多くの部分は、世界的な視点になっています。 <1> 原初的な理想の先祖信仰を持つ遊動文化 日本、及び世界の、原初の文化は、「非定住遊動」型であったと推測されます。 数家族からなる流動的なバンド単…
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清めの戦い(中世から)

大和の大元の聖地は三輪山。 その裏から流れる初瀬川の脇にある長谷寺は、大和、三輪の奥之院に当たります。 実際、いち早く神仏習合を進めた三輪流神道は、長谷寺と連携し、三輪の大神神社の若宮の本地を、長谷寺の本尊の十一面観音としました。 若宮は豊穣神ですが、その本地の十一面観音は、大和の命をはぐくむ水を提供する水神(川の女神)を背景に持…
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供養と終活(グリークワークとスピリチュアルワーク)

伝統的文化における、あるいは心の無意識的な意味における、「供養」と「終活」、グリークワークとスピリチュアルワーク(自分の死によるグルーフワーク)の本質を、統一的観点から理解し、ストーリーを組み立てます。 人の心には合理的に考える側面と、無意識的・象徴的に考える側面があります。 前者は科学の発達とともに変化しますが、後者にはいつの…
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供養の経済と「つながり」の創造

供養と経済とコミュニケーションについて、形になった部分と形になる前の部分という観点から、統一的に論考します。 人と人の「つながり」は、コミュニケーションや経済を通して、組織とともに作られます。 日常意識の世界は、「言葉」や「イメージ」のような「形(表象)」でできた世界です。 コミュニケーションでは、それらを交換します。…
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イエスその人の思想

キリスト教の教えではこうだから、葬儀や供養はこうしなきゃ、というドグマからの解放されるのため、イエスその人の思想について書きます。 キリスト教の起源になった、ガリラヤで活動したヨシュアという名前のユダヤ人は、おそらく、実在したのでしょう。 しかし、彼の実在や、十字架上の死を含めて彼の人生に関して記録された、客観的な資料は一切、存…
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釈迦その人の思想

供養に関しても、お釈迦様の教えはこうだから、こうでなきゃいけない、というドグマから開放されるために、釈迦の思想について、書きます。 一般には原始仏教、初期仏教の思想が釈迦の思想として語られますが、もっと厳密な研究による、それとは異なった姿を描きます。 仏教の起源になった釈迦族出身のゴータマ・シッダールタという人物は、紀元前…
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送迎儀礼と供養

「通過儀礼と供養」のカテゴリでは基層文化のコスモロジーの「時間」と供養との関係を扱いました。 これに対して、この文章は、「空間」を扱います。 現代人でも、無意識の中では、聖なる空間と俗なる空間を分けています。 葬祭・供養は、常にそのコスモロジーの中で、特定の場所に基づく意味があります。 現代人は意識していなくても、それ…
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無縁

NHKの特集以来、「無縁社会」がメディアで取り上げられることが多くなっています。 池田信夫もブログで「無縁・公界・楽」というタイトルで書きました。 http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51407019.html 網野善彦の『無縁・公界・楽』を紹介しながら「無縁社会」キャンペーン…
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スピリチュアルケアとその先

死期が近く、避けられないことを知った人の心のケアをすることを「スピリチュアルケア」と呼びます。 「ターミナルケア(終末期ケア)」、「緩和ケア」の心の部分です。 本来は、お寺さんにとって重要な仕事でした。 しかし、現在のように、亡くなる前には、家族からも病院からも、お寺さんが締め出されている状態では、ケアはできません。 …
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柳田と折口の先祖観

柳田國男は、人が死ぬと、子孫に祀られることによって、徐々に個的な性質を落とし、30年ほどかけて、やがては集合的で普遍的で浄化された霊魂(氏神・先祖霊・祖神・祖霊)になると考えました。 先祖は山で子孫を見守っていますが、盆や正月などに村や家に戻ってきます。 ちなみに柳田説では、子孫が手厚く祀らないと故人は幸せになれません。 …
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映画「殯(もがり)の森」 の死生観とグリーフワーク

『殯(もがり)の森』は一昨年、カンヌでグランプリを受賞した河瀬直美監督の映画です。 『おくりびと』と同じく海外の有名な映画祭で受賞をし、死生観を扱った映画であるにもかかわらず、あまり話題になりませんでした。 それは、この映画が一般の映画のような分かりやすい作りではなく、とても難解だからでしょう。 実際、観客に分かりやすく説…
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映画『おくりびと』の死生観

映画『おくりびと』は、死や葬儀、供養の意味を改めて考えさせてくれます。 この映画が内外で人気を博しているのは、特定の宗教や個人の信条を越えたところで、「死」の意味を描いているからではないでしょうか。 映画『おくりびと』は「死」や「死後」について直接、述べることは少ないのですが、多くを暗に表現しており、そこには伝統的な文化が持っていた…
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「千の風になって」の死後観

秋川雅史が歌った「千の風になって」の死後観について考察します。 この詩には現代的な死後観が現れていると思うので、以下、伝統的な死後観との比較を私見により分析してみます。 == 「千の風になって」の死後観は、簡単に言えば、死者は、自然の生命力の象徴である風となり、また、様々な自然になって生き続けるというものでしょう。 これ…
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