スピリチュアルケアとその先

死期が近く、避けられないことを知った人の心のケアをすることを「スピリチュアルケア」と呼びます。
「ターミナルケア(終末期ケア)」、「緩和ケア」の心の部分です。

本来は、お寺さんにとって重要な仕事でした。
しかし、現在のように、亡くなる前には、家族からも病院からも、お寺さんが締め出されている状態では、ケアはできません。

日本ではスピリチュアルケアは、まだ理論や方法が模索中のようです。
今回は、このスピリチュアルケアについて、特にその可能性の部分について書いてみます。


<スピリチュアルケア1.0>

グリーフワークの悲嘆は「家族の喪失」によるものです。
これに対して、自分の死を前にした悲嘆(スピリチュアルペイン)は「未来の喪失」によるものと言えます。
喪失による悲嘆という点では、二つは似ています。
ですから、以下、グリーフケアと比較してスピリチュアルケアを紹介します。

死別のグリーフでは、愛する人を喪うことで、これまでの自分の生きる意味が失われ、人格の多くの部分も意味を失くします。
スピリチュアルペインでも、未来を失うことで、これまでの自分の生きる意味、人格の意味が崩れ去ります。

悲嘆の症状が、ショック状態→拒絶→悲嘆・鬱→受容 といった感じで進む点でも似ています。
ケアの方法も、共感的に話を聞くことで、ケア対象者が自分から立ち直って成長することを促す、と言う点で同じです。

グリーフワークでは、故人との過去の体験を整理し直し、やり残したことがあれば、本人がいると思って語りかけます。
そして、死生観を深め、今後の人生の意味を問い直します。
スピリチュアルペインの回復でも、自分の人生を振り返ってその意味を確認・総括し、やり残した事項があればやり遂げます。
そして、神仏について何らかの観念を深め、死後についての展望を形成します。 

このようにグリーフワークもスピリチュアルペインの回復でも、生きる意味や人格を再構築する必要があります。
一般に語られるスピリチュアルケアはほぼ、ここまでです。


<ケアとワークの3段階>

ところで、心理療法にはその性質から、大きく3つの段階があると思います。
1)治療的段階(健康状態を回復する)
2)自己実現的段階(自然な成長をうながす)
3)自己超越的段階(スピリチュアルな次元を含む成長をうながす)

グリーフケア、スピリチュアルケアは、ケアという言葉にあるように「治療的段階」に焦点を置きがちです。
グリーフケアの場合は、その後も長く続く供養を介して、人格を成長させる機会があります。
しかし、スピリチュアルケアは待ったなしです。
グリーフワークが数年、供養で数十年をかけて行う成長を、スピリチュアルケアでは数ヶ月のうちにやりとげなければいけないと私は思っています。

実際、「スピリチュアル」は名ばかりです。
スピリチュアルケアとして言われているものの多くは、従来の人格や価値観を、本質的には変えないままに、修復して取り戻そうとするものでしょう。
「治療」であれば、それが一番手っ取り早いはずです。
たとえば、子供の成長を楽しみにして生きて来た人が、未来を失ってそれを断たれ、代わりに浄土から子供の成長を見守ることに意味を見出すようになる…

スピリチュアルワークでは、神仏や死後の世界に関して何らかの観念を持つことで価値観を再構築することが多いようです。
しかし、それによって、本当に従来の価値観を深め、広げるまでに至ることは稀です。
悪く言えば、死という現実を幻想によって隠し、これまでの自我を延命させているだけでしょう。


<ビハーラ>

キリスト教に基づいてターミナルケア、緩和ケアを行う機関を「ホスピス」と言います。
仏教に基づいてケアを行う機関は「ビハーラ」と呼ばれます。
仏教では古くから、ターミナルケアやスピリチュアルケアに対応することをやってきましたが、最近になって、欧米から輸入されたものと、伝統的なものをなんとか結び付けようとしています。

日本の仏教の場合、伝統的なスピリチュアルケアは「臨終行儀」として行われてきました。
「臨終行儀」は浄土思想に基づきます。
簡単に言えば、世俗に関わる思いはすべて捨てて、阿弥陀仏や浄土だけに心を向けて極楽往生を願う、というものです。
家族は臨終の席から追い出されます。

しかし、一般の人にとって、極楽往生は自我による現世利益の延長である場合が多いでしょう。
本来は、自我を捨てて、清い心になったことの結果が極楽往生です。

極楽往生を願う浄土信仰には、大きなパラドクスがあります。
極楽往生を願うという自我が残っていては往生できない一方、自我を捨てて清い心になればもう極楽往生する必要もなくなります。
ですから、親鸞の後期の思想は、すべての自我による計らいを捨てて、あるがままを受け入れて生きる(絶対他力・自然法爾)ことに重点があると言われています。

このように、本当のスピリチュアルケアには越えるべきある一線があると思います。
自我の延長上に向かうのか、自我の外に向かうのか。
これは仏教だけの問題ではありません。


<スピリチュアルケア2.0>

プロセス指向心理療法を創設したアーノルド・ミンデルは、スピリチュアルケアによって劇的な人格成長をうながした多数の臨床例を持っています。

「死」に対する恐怖の多くの部分は、実は「自我を失う」ことに対する恐怖から来ています。
通常、人格のアイデンティティは、様々な可能性を否定することで作られています。
しかし、そのこだわりを捨てると、これまで自我が否定していた様々な可能性の芽生えが次々と現れ、急速に人格が変わっていきます。
「死」を受け入れて、自我を脱ぎ捨てた時、自然に人格の急速な統合・成長が進行することがあるのです。

ミンデルは、「死」を恐れている人に、「仮にもう死んだと思ってみましょう。どう感じますか?」というワークを行わせます。
すると、恐怖ではなく「安らぎ」を感じる人も多いそうです。
これをきっかけに、一線を越える事例が数多くあります。
そして、新しく芽生えた可能性を見つけて、それに注意を向け、成長させることをサポートします。

自我とその価値観を手放した時、「初めて本当に生き始める」とも言えます。
個人的な観念による意味付けの枠をはずして、物や人をあるがままに見て、感じ、関係を持つことが始まります。

過去の人生を意味付けたり、死後の世界への展望と持つことではなく、今をどう生きるかを重視する、「自己実現段階」や「自己超越的段階」のためのスピリチュアルケアです。

死を前に、「最後」にして初めて、本当に生きるための最大のチャンスが与えられるわけです。


<スピリチュアルケア3.0>

人は死を向かえる前に、昏睡状態に陥ることも多いでしょう。
アーノルド・ミンデルは、昏睡状態に陥った人をも対象にしてスピリチュアルケアを行っています!
日本では行われていませんが、アメリカやスイスでは昏睡状態の人の心のケア(コーマワーク)の臨床例は多数蓄積されています。

昏睡状態の人はほとんど精神活動がないと誤解されています。
実際、昏睡状態の人は、通常、コミュニケーションができません。
しかし、昏睡状態の人の呼吸に合わせて、肌に力を加えるなど、地道な働きかけを長期に渡って続けることで、昏睡状態のままで、こちらがコミュニケーションを行おうとしていることに気づかせることができます!

昏睡状態の人の多くは、こちらがコミュニケーションをとろうとしていることに気づけば、こちらが話している声を聞き、理解することができます!
また、言葉は喋れなくても、微妙な眼球の動きや筋肉の痙攣、呼吸の間隔の微妙な変化を通して、こちらにメッセージを送ることができます!

昏睡状態というのは、夢を見続けているような状態です。
実は、この状態の中でそれを自覚すれば、一種の瞑想状態になり、自分の潜在意識と対話し、未統合な力を統合して人格を変容させるのに最適な状態となります!
つまり、夢の中に象徴的に現れた可能性を自覚し、それと向き合い、夢を展開することで、人格の変容が導かれます。

ミンデルは昏睡状態の人にこのことを伝え、昏睡状態のままで、人格の劇的な統合を促します。
人は死を前にした昏睡状態の中で、精神活動が低下するどころか、劇的に成長し、「初めて生き始める」のです!
これは、昏睡状態から目覚めた人の多数の証言で、確かめられています。

実は多くの人が、人格の統合を成したとことを報告した直後に、亡くなったり、逆に意識を取り戻したりする例が多数あります。
ですから、人は人格の統合を果たすために、昏睡状態を選び取っているのではないか、とミンデルは考えています。

「最後の最後」に、最大のチャンスを生かすためにです。


<スピリチュアルケア∞>

もっとカルトなテーマですが…
チベットでは僧侶による「臨終直後」のケアを重視します。

人は心臓が止まっても、しばらくは脳の電気的な活動が続きます。
チベット僧は臨死状態をシミュレートする瞑想修業(具体的には、死後の体の「気」の動きを再現して、全身のすべての「気」を心臓のチャクラの奥に収納する)を行うことで、死後と同様の意識状態を体験・自覚しているそうです。
その体験に基づいて、信者の死の直後から、その人の現在の体験に即して案内を行います。

死後の意識の状態は、昏睡状態と似ていて、潜在意識が次々と現れたり、一切の心の現れが止んだ心の土台が裸で現れたりを、繰り返すそうです。
チベット僧は、死者が現在体験しているものが、自分の潜在意識の現れであることを説き、執着が原因で現れる心と、そうでない自然な心と、一切の現れのない心の土台を区別することを教えます。

こうして、意識・無意識の全体を自覚し、全人格的な統合と完全な超越を目指します。
死の直後は、そのために最も恵まれた状態であると位置づけられています。

「最後の最後の最後」に与えられた、最大のチャンスを生かすことに向けた説法です。
(2009)

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