死生観の歴史、その概念的モデル化のメモ

伝統的な先祖信仰と仏教を中心に、死生観の歴史に関して、ごく概念的にモデル化したメモです。
日本を中心にしていますが、モデルの多くの部分は、世界的な視点になっています。


<1> 原初的な理想の先祖信仰を持つ遊動文化

日本、及び世界の、原初の文化は、「非定住遊動」型であったと推測されます。
数家族からなる流動的なバンド単位で、狩猟・採集を糧にして移動生活を行っていました。

食料は平等に分配し、蓄積がなく、「純粋贈与」(持っているものがただ与える)という交換様式のみを行っていました。

家族制度は、双系で、出自が組織化されておらず、従って、「先祖」の観念も、「家系」という観念を伴いませんでした。

人々は平等で、個人の個性は希薄で、「自我」もあまり持ちません。

死後の世界(他界)は創造的で、「この世」の基盤的な世界と見なされていました。
動物などの食料は「他界」からいただくものでした。

死後、個人の魂は、個性を脱して、限定のない普遍的存在である「先祖霊」になっていきます。
そして、多くの場合、やがて、子供として再生します。
おそらく、先祖霊は、人々を一方的に守護する存在です。

つまり、「創造力としての他界」の観念を持ち、そこでの「普遍へと回帰」と「再生」という、循環的なライフサイクルを持つ理想的な死後観です。
死者の脱個性化は、子世代の記憶の中の故人像の同様の変容と対応し、「世代期間と対応」します。

多くの誤解がありますが、柳田国男が想定した最古層としての「常民」、「山人」による「固有信仰」はこれに当たります。


<2> 定住革命と氏族社会

原始的な農耕・漁撈が始まり、「定住」生活に移ります。
物の蓄積、格差が発生し、共同体の中での「互酬」(何かを与えられると、何かを返す)という交換様式が始まります。

定住にともなって、氏族社会が成立し、出自が女系、もしくは男系に組織化されます。
「先祖」は、一つの「家系(氏)」の先祖となります。
そのため、「先祖」は純粋な普遍性ではなく、氏族としての個性を持つ存在になります。

また、先祖との関係が「互酬」になります。
つまり、祀り、供養する(与える)ことで、守護される(返礼される)関係です。

個人も、共同体の中で、氏族や家族の属性などによって、より個性を持つ存在になり、私有の観念も成長することとで、「自我」が強くなります。

それゆえ、死後の魂の脱個性化は、リアルな問題になりますが、同時に、純粋な普遍的存在にまでは至ることができなくなります。
純粋な「普遍への回帰」を失ったのです。


ちなみに、日本の縄文前期には、村の中心に墓所がありました。
基盤としての「創造力としての他界」が、生活の中心にあったわけです。

しかし、縄文後期には、村の周辺に墓所が移ります。
食料は、農耕などの人為的に生産されるものになり、自然な「創造性としての他界」が、日常から遠ざけられ、その力は田畑に年始に招き入れるものになりました。
「他界」は山中などにあるとされ、死後の霊は、モガリを経て、徐々に山を登り、普遍化していきます。


<3 王国と救済宗教の発生>

特定の部族が他の部族を支配し、「王国」が成立します。
「王」は神性を持つ存在になり、各部族、氏族の「先祖」は、「王」の直系先祖を頂点として階層化されます。
社会も階層化し、強制による支配が発生、王(国家)による「再配分」(税と公共サービス)という交換様式が生まれます。 

死後の魂の行き場所も、身分などによって階層化され、魂の普遍化の度合いも、それに対応して階層化されます。
個人は個性化され、「自我」も強化されます。

つまり、「普遍への回帰」が、さらに失われました。
また、「他界の創造力」は、王が独占・媒介するものになってしまいました。

しかし、王国下の格差によって死後の救いのなさが限界を越えたために、それに対抗する「救済宗教」としての世界宗教が生まれます。
仏教や秘儀宗教、グノーシス主義のような、個人を救済する宗教です。
それらは、「王国」を越えて「世界宗教」となっていくと共に、「帝国」の宗教として組み込まれます。

「救済宗教」は、生き方と死後生と再生の運命に関する理論(救済論、輪廻と業の論理、解脱思想など)を生みます。
これらは、王国の元での階層的な世界観を否定し、個人の魂が普遍性にまで至ることを説きます。
そのためには、個人に内在化された、王国の元での価値観を、排除する知恵・修行が必要とされます。
しかし、救済には一定の条件が果たされ、すべての人間が普遍へと回帰できるわけではありません。

「救済宗教」、「世界宗教」は、所有を否定して愛を説くことが多く、<1>にあった「純粋贈与」という交換様式を回復しようとする傾向があります。

こうして、自力での「普遍への回帰」という救いが取り戻されますが、一定の条件が必要とされます。
また、回帰の時間は、死後すぐとされることが多くなり、「世代期間との対応」を失いました。
また、ほとんどの救済宗教は、個人を対象としたため、「再生」を否定することになりました。

そして、「救済宗教」は多くの場合、王国支配下の現世に対する否定的傾向が強く、「他界」の観念にあった創造力も意味を失い、先祖の世界は、餓鬼の世界などとされてしまいます。


<4> 大乗仏教と浄土信仰による限定的回復

解脱を目指した仏教は現世否定的な思想で、<1>にあった積極的な意味を持った「再生」や創造的な「他界」の観念を取り戻すことはできませんでした。
この点は、他の世界宗教も同じです。

しかし、仏教の大乗化と浄土信仰は、「仏の他力」として、他界の一定の創造的な働きを回復しました。
また、菩薩を自ら転生する存在として、一定の意味を持つ「再生」の観念を回復しました。

死者が再生する「浄土」は、伝統的な先祖信仰の「常世」に近い場所となり、年忌法要は、脱個性化のプロセスに類似しています。
浄土から解脱までの回帰の時間は、「世代期間との対応」を回復しました。

浄土的世界観は、古来の先祖信仰の世界観と、仏教的世界観を習合させたものです。
しかし、再生や常世の積極的な意味の回復は、不十分なレベルに留まります。

また、仏教の「功徳」(何かを与えることで何かを得る)や、大乗仏教の「回向」(功徳を与えることで功徳を得る)の考え方は、経済人類学の3つの交換様式には属さない独自の交換様式と考えることができます。
しかし、仏教が権力と結びついた場合、「功徳」を得るための「善行」は、「納税」となってしまいます。


ちなみに、日本の「中世前期」の死後感では、死者は別次元の遠い世界として想像された「浄土」にいます。
そのため、供養は不要で、遺骨へのこだわりはなく、墓標もありませんでした。
仏教に忠実な死後感です。

しかし、「中世後期」には、「浄土」は近い場所と想像されると共に、死者は墓にもいると考えられました。
そのため、墓参りが必要とされ、遺骨への強いのこだわりが生まれました。
貨幣経済の浸透により、「他界」的存在が、身近な範囲に閉じてしまったのでしょう。
また、貨幣経済の浸透は、「家族」制度を変容させ、法人としての「イエ」(血縁とは異なる家族制度)を生み出しました。


<5> 後期密教による回復

密教、特に、インド、チベットを中心にした後期密教、タントラ思想は、別の方向で、伝統的観念の回復を果たしました。

後期密教によれば、普通の人間は、死から「中有」の期間に、仏の意識状態、つまり、普遍への回帰を繰り返し8度体験してから、再生します。
すべての死者の魂が、「普遍へと回帰」する死生観の回復です。
ただし、回帰の期間の「世代期間との対応」はありません。

大乗での「再生」は、菩薩からの「再生」であり、普遍に至らない「再生」でした。
しかし、後期密教では、悟りへ至ってからも、救いのために「再生」をすると考えるので、「普遍からの再生」という観念が回復しました。

また、後期密教では、仏の意識状態=「自性清浄心」は、意識と世界の根源とされ、そこからすべてが生み出されます。
つまり、「創造力としての他界」の観念が、より抽象的に理論で、回復されました。


<6> グローバル資本主義によるコミュニティとコスモロジーの解体

グローバル資本主義は、市場交換(貨幣と商品の交換)が全面化して、他の交換様式と、それに対応する社会組織を従属させるものです。

コミュニティは解体され、最小単位としての核家族もあやうくなります。
「他界の創造力」は、商品に取り込まれて閉じ、金融資本によって操作される「金利」となります。

「税」は、債権としての通貨の使用に際しての利息となって不可視化します。
「互酬」は、通貨を介したものとなります。

先祖観念は、事実上、インターネット上のAIを介した集合知となります。
家族の世代や個人のライフサイクルは、商品のプロダクト・サイクルを基盤とした副次的観念となります。

グローバル資本主義は、特定の死後観を生まず、積極的な意味はなくなります。

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